夕方の部屋って、なんか独特の色になるじゃないですか。
蛍光灯つけるにはまだちょっと早いし、でも外はもうオレンジがかってきてる。
そんな薄ぼんやりした光の中で、私はよく机に向かってました。目的は勉強じゃなくて、絵。ひたすら、ノートや裏紙に好きなキャラの模写とか、自分で考えたオリジナルのキャラとかを描いてたんです。何かの参考に、というよりは、ただ楽しくてやってただけ。でも、ただ無音の中で描くのは苦手で、いつもテレビをつけてました。
で、その頃よくやってたのが『ルパン三世』だったんですよね。
ルパン三世って、最初に見たときは、正直よく分かんなかったんです。
主人公なのに泥棒だし、すぐ女の人に騙されるし、銭形警部って人も敵なのか味方なのかあいまいで。なにより、みんなめちゃくちゃ自由に生きてる感じがして、「え、これでいいの?」って戸惑った記憶があります。
でも不思議なことに、気づいたら毎日その時間になるとテレビの前に座ってて、気づいたら線を引く手が止まってて。
ルパンたちのやりとりに見入ってしまう日も少なくなかったです。
当時、私はけっこう自己流で絵を描いていて、特に人体とか顔のバランスとか、わかんないことだらけで。
でもルパン三世を見てると、キャラの動きや表情がすごくわかりやすくて、真似したくなることが多かったんですよ。ルパンの肩の動きとか、五ェ門の斬るときの一瞬の間とか、不二子の腰のラインとか、全部が誇張されてるけど、それが逆に“描きたい!”って気持ちにさせてくれて。結局、絵を描くつもりでテレビつけてたのに、影響されて描く方向が変わっちゃう、みたいな日もありました。
そういえばある日、どうしても不二子みたいな女性キャラが描けなくて、鉛筆握りながらひとりで「ちがうんだよなぁ…」って何度も描き直してたら、母が背後から「色っぽさって線だけじゃ出ないのよ〜」って。急に何の話かと思ったら、横目でルパンを見て、「あの動きとかさ、声とかさ、あれ全部で“色っぽい”になるのよ」とか、軽くアドバイス(?)くれて。
それがなんか妙に心に残ってて、今でも線だけで雰囲気出すのって難しいな〜と思ったりします。
夕方って、学校から帰ってきて、夜ごはんまではちょっと時間がある微妙な時間。何かに夢中になるには短くて、でもただぼーっとするにはもったいない。そんな時間に私はよくルパン三世と一緒にいた感じがしてます。アニメそのものの記憶より、あの時間帯、あの光の中で絵を描きながら聞いてた音とかセリフとか、そういうのがセットで残ってるんです。
あと、次元の佇まいがすごくかっこよくて。子どもだった私は「うわ…かっこいい…」って思いつつ、それを絵に描こうとすると、やっぱりすごく難しくて。でも「どうしてこの人たちはこんなにかっこよく見えるんだろう?」って考え始めたことで、キャラの魅力って線やデザインだけじゃなくて、仕草とか表情、あとはタイミングで決まるっていう大事なことに気づけた気がします。そういう意味では、私にとってルパン三世って、絵を学ぶうえでもかなり“先生”だったのかも。
高校に入ってからは、なかなか夕方にテレビを見る時間もなくなって、ルパン三世との時間も減っちゃったけど、たまにスペシャルが放送されたりすると、自然とチャンネル合わせちゃうんですよね。で、久々に見ると、「ああ、ルパンはルパンだな〜」って。相変わらず自由で、軽くて、でも仲間思いで。銭形警部は今日も追いかけてて、不二子はしたたかで、次元と五ェ門は相変わらずかっこよくて。
絵を描きながら見てたあの頃と比べると、自分の描く線は少しは上手くなったかもしれないけど、それでもやっぱり、あのとき感じた“なんか描きたくなる感じ”は今でも忘れてなくて。あの夕方の空気感も含めて、私の中ではルパン三世はただのアニメじゃなくて、日常の中のちょっとした宝物みたいな時間だったんだなあと思います。
もしかしたら、あの頃ルパン三世を見ていなかったら、今の私はもうちょっと違う絵を描いてたかもしれないし、そもそも絵を続けてなかったかもしれない。それくらい、何気ない夕方のアニメが、自分の感性の根っこにぐっと入り込んでたんだなぁって、今になって気づくとちょっと不思議な気分になります。
テレビの音をBGMにしてるつもりが、いつのまにかストーリーに引き込まれて、描く手が止まってたあの感覚。
ルパン三世の独特のテンポやセリフ回し、あの音楽……全部が今でも、自分の中では特別です。あの頃の私は、無意識に何か大事なものを受け取ってたのかもしれません。気づいたら線が変わってた、キャラの表情がちょっと柔らかくなってた、そんな小さな変化のきっかけが、夕方のテレビにあったなんて。なんだかちょっと笑っちゃうけど、でもそれが私の“ルパンとの夕方”でした。